サイフォン講座

  • 目で楽しめる(演出効果が高い)。
  • 何度飲んでも、均一の味を保てます。
  • 火加減や抽出方法によって、コーヒーの持ち味を素直に出します。
  • 濃厚な味わいを楽しみたい方へ。
  • 室内のインテリアとして雰囲気を出されたい方へ。

必要な器具

サイフォン一式
サイフォン一式

淹れ方へのこだわりを追求し続ける河野式のサイフォンをご紹介します。

竹べら
竹べら

サイフォンでコーヒーを作る際のコーヒー攪拌用としてご利用下さい。

アルコールランプ
アルコールランプ

サイフォンでコーヒーを作る際のアルコールランプとしてご利用下さい。

フラスコ
フラスコ

サイフォンでコーヒーを作る際のフラスコとしてご利用下さい。

ロート
ロート

サイフォンでコーヒーを作る際のロートとしてご利用下さい。

サイフォンで美味しいコーヒーを淹れよう

STEP01
STEP01
ロートにコーヒーの粉とフラスコには熱湯を入れ、(1人分の湯の量は約125cc)アルコールランプで加熱します。
ランプの芯の長さは5mmくらい。業務用ガステーブルを使用する時は、ガスの炎がフラスコの底に届くくらいの細火にしてください。
STEP02
STEP02
フラスコの湯が、加熱されて93℃くらいになると泡が出始めます。ロートを軽くフラスコに差し込んでください。
湯が沸騰してしまった場合は、フラスコに湯を入れ落ちつつせてからロートを差し込みましょう。ガステーブル使用の場合は、フラスコにロートを差してからガスに点火してください。
STEP03
STEP03
フラスコの湯が徐々にロートに上がり始めます。そしてコーヒーの粉の多くは押し上げられて、ロートの上部に浮かびます。
ガスの炎は細火のまま保ちましょう。ロートの中の抽出温度を高温に上げないためです。
温度の変化が少ないことが、良いコーヒーをつくる条件の一つです。
STEP04
STEP04
ロートの上部に浮かんだコーヒーの粉を、竹べらで沈めながらほぐしましょう。
ほぐしながら5.の動作に移ります。4.の作業は、熱湯が粉に浸透して、良液の抽出が順調に始まる最も大切なところです。
(注:熱湯と粉をよく混ぜ合わせてからカクハンしてください)
STEP05
STEP05
竹ベラでロートの内側に円を描くように、ゆっくり6〜7回くらい回します。
粉に微紛が少なければ、二度繰り返してもいいですが、多めの時は風味が悪くなります。カクハンの回数は使用する人の好みにもよりますが、コーヒーの味わいに微妙に作用しますのでご注意ください。
STEP06
STEP06
竹ベラでカクハン後、ランプ又はガスの火を消すまでの時間は、2人用、3人用で1分前後。4人用、5人用で40秒くらいが大体の目安です。
しかし粉の粗さや焙煎の度合いなどで違いがあります。お好みに合った適切な時間を研究しましょう。
STEP07
STEP07
ランプ又はガスの火を消すと、ロートからコーヒーがろ過され、フラスコに自動的に下がり始めます。
粉は徐々にろ過器の上にたまるので、抽出液がフラスコに下がる速度が少し遅くなります。ですが、この時間が結果的に良いコーヒーに結びつくのです。
STEP08
STEP08
コーヒーが完全にフラスコに下がりました。
1人分の液量は焙煎の度合いや挽き方にもよりますが、約110cc〜115ccくらいにできあがります。
スタンドを握り、ロートを下に押すようにして左右に動かし、取り外してください。最後に、温めてあるカッ プをご用意ください。
スタンドを持って、フラスコから直接カップに注いでできあがりです。
  • ■ 世界ではじめて商品化に成功した日本人 その名は河野彬。弊社の初代社長です。大正8年、九州帝国大医学部助手であった河野青年は、帝国大学(現在の東京大学)の命によりシンガポールに渡り、
    海外委託生として日本商品陳列館の職員となり、医療品その他の販売に活躍いたしておりましたが、コーヒー好きの彼にとって、シンガポールの味は気に入りませんでした。
    そこで、お手のもののフラスコなどを利用して、美味しいコーヒー沸しの研究が始まったのです。
    たまたま、英国人が工夫していたコーヒー器具に見せられたのがキッカケとなり、ここに河野青年の「コーヒー沸しへの道」が開かれたのです。
  • ■ 日本では1円80銭で売り出す 大正13年帰国。東京駅八重洲口に島屋商会を設立して、
    医療用品の海外輸出を手掛けるとともに、コーヒー沸しの研究も進められました。
    大正15年、研究の成果をようやく商品化して、販売に踏み切りました。 昭和2年、
    日本橋のデパートで日本で初めての実演販売を行いました。
    当時、1円80銭という高級品なみの値段と人々の嗜好傾向からか、
    販売成績はあまり芳ばしくなかったようです。
    昭和10年頃より海外へ輸出、販路も伸び始めましたが第2次大戦で
    すべてを失う結果となりました。
    敗戦後は、贅沢品といわれながらも製作を再開、改良に改良を重ねて、
    今日に至つているわけです。